もう一度、バイクに乗った理由 [腕神経そう麻痺]
今回は『バイクに乗る理由』についての話です。
ちょっと長いので、暇な時に読んで頂ければ幸いです。
事故で右腕を壊し、一時は機能回復は絶望的と言われていたのに、
どうして、『もう一度バイクに乗ろう!』と決めたのか?
その理由が自分でも分かりません。
『何故だろう?』
再びバイクに乗った理由がなにか?
事故から10年以上も過ぎた、今になっても時々、悩んでいます。
今でこそ「何でバイクに乗っているの?」と聞かれたら、
『全身でバイクを操って走るのが楽しいから』と、即答するでしょう。
でも、再びバイクに乗ることを決めた瞬間に何があったのか?は分かりません。
この記事自体も、昨年の11月に下書きを始めてから、
長らく未完のままだった位ですから、
今でも自分の中で『気持ちの折り合いがついていない』のでしょうね。
以前の記事にも書きましたが、
現在の私の右腕は「機能50%損失」まで回復出来ました。
でも、アクロスに乗った時点では、事故から1年も経っておらず、
『右手首の一部と中、人差、小指の3本』のみ動く状態でした。
神経移行手術は成功しましたが、神経が繋がったかの結果が出るのは遥か先。
当然、バイクどころか、自転車も乗れない状況でした。
それでもバイクに乗ろうというのは、当時を振り返っても、とても正気とは思えません。
そもそも、私がバイクに乗り始めたのは『移動手段』としてです。
「バイクに乗るのが好きだから」でも、
「走るのが楽しいから」でもありません。
単純に自転車よりも便利だから。
その程度の理由です。
それが、いつの間にか「バイクに乗る楽しさ」が、
自分の生き方の根幹になっているから不思議です。
では話を戻しましょうか。
普通なら腕に障害を持ってしまったら、
「バイクではなくクルマ」に乗えうかえようと思うでしょう。
というか、それが当たり前。
なぜ、この発想が無かったのでしょうか?
腕だけでなく、アタマも壊れていたのかも知れません、、、
事故後の入院中を振り返ると、こんな事がありました。
手術から1週間すぎて、集中治療室から一般病棟に移った後に、
出歩けるようになったので、病院の向かいにある本屋に買い物に行きました。
もちろんキズを痛めないように、すぉーーーっと歩いてです。
買ってきたのは2冊の雑誌。
1冊は軽自動車の「カプチーノ」の特集号。軽のATスポーツ車だから納得。
しかし、もう一冊は「何かのバイクの本」
たしか別冊モターサイクリストだったような、、、
手に取った理由は自分でも分かりません。
病室に戻った後の反応は、
同室の患者さん、ドクター、看護師さん、みんな揃って同じ意見。
『バイクバカは死んでも治らないねぇ』
自分でも『イカレテル』と思います。
手術後、神経が繋がる迄は右腕が固定されているので、
バイクに乗れるどころか、手術が成功したか?どこまで動かせるか?
何一つ、分からない状態でした。
それなのに『無意識にバイクに乗るんだ!』と思い続けていた。
実に不思議です。
当時の自分を振り返ると、考えの根拠はコレがあったからでしょう。
①マイケル・ドゥーハンさん
ご存知の方も多い、90年代のGPレーサー。
レース中に右足切断も危ぶまれるほどの事故にあうも、
左ハンドルにレバー式リアブレーキを装着し走り続けた、不屈のチャンピオン。
②ホンダ・フュージョンさん
Rブレーキはフットベダル。
左ハンドルはレバー無しなので、
右ハンドルからレバー、アクセル、スイッチを左側に移設可能。
これら↑が記憶にあった事もあり、
『これなら片腕でもコントロール出切るんじゃないか?』
やれば出切る!と判断したのかもしれません。
でも、本当に片腕でバイクを完全にコントロール出来るのか?安全に走れるのか?
何一つ答えは分かりません。
その頃は、インターネットが普及し始めたばかりの時期で、
検索しても必要な情報は簡単には入手出来ません。
海外では「片足切断でもトライクに乗るライダー」がいることや、
元ライダーで「下半身不随の四輪レーサー」がいることを知りましたが、
いくら探しても、同じような「腕に障害を持つライダー」の情報は見つかりませんでした。
『じゃあ、自分で実験しよう!』
結果として、ライダー復帰が出来たから良かったものの、
転倒、事故にあえば「良くて半身不随、悪けりゃあの世行き」と、
当時の主治医からも言われていたので、
若さゆえの過ちというか、坊やだったからなのか、
無謀な挑戦をしたものです。
さて当時の振り返りはこれ位にして、
事故から18年経った、今の時点の考えも話しておきましょうか。
『やっぱり無謀な挑戦だったかな』
片腕でもバイクを走らせる事は可能です。
白バイの訓練でも「片手でジムカーナ」的な実習をしているので、
操作に慣れれば片手でも走れます。
でも『いつでも安全に走行できる』かという点には、疑問が残ります。
片腕もしくは片足で不随で操作するには、「二輪車であるオートバイ」はリスクの高い乗り物です。
私自身も事故にはならなかったものの、
濡れた路面で滑りハイザイド。
ギャップにハンドルをとられる。
急ブレーキでバランスを崩し転倒寸前。
etc、、、
このように「ヒヤリ・ハット」は日常茶飯事です。
だから、今は身体の不自由な方にバイクに乗る事を『無条件』には勧めません。
何でバイク(二輪車)に乗りたいの?
四輪車じゃ駄目?
オープン車でも嫌?
トライクという選択もあるよ。
相手が誰であっても、1度は全力で阻止します。
バイクは楽しい乗り物です。
でも、常に危険と隣合わせの楽しさなのです。
だからこそ、
「楽しさと危なさの諸刃の剣」なことを知っていて欲しいのです。
私ごときを説得し看破できずに、
中途半端な気持ちでバイクに乗るのは、
死神を後ろに乗せて走っているのと同じ事だと思います。
それでもバイクに乗るのを諦めず、
他者よりも「負傷・死亡のリスクが格段に高い」ことを納得し、
その上で、少しでも安全で楽しくバイクに乗りたい!という意思を示したならば、
私は、助力を惜しみません。
たとえ一人では出来ないことでも、
何人もの力を合わせれば、夢を現実に変えることは不可能ではありません。
『バイクに乗っているのはナゼ?』
貴方なら、なんと答えますか?
記事修正のお知らせ [腕神経そう麻痺]
第1回の記事、「片腕の壊れたライダーの話」
http://kous-dc.blog.so-net.ne.jp/archive/20131001
上記の記事について、
内容の加筆、修正を行いました。
すでに読まれた方も多いと思いますが、
今一度、お読み頂ければ幸いです。
クスグル・ワラウ [腕神経そう麻痺]
今回は「肋間神経移行術」についての話です。
『何を・どうやって・こうなった』を解説してみましょう。
まず「肋間神経移行術」とは何ぞや?から始めましょう。
神経断裂で動かなくなった腕の関節(筋肉)に繋がる神経に、
「肺を動かす神経である肋間神経」を直結することで、
再び腕の間接を動かす筋肉に、肺を経由して脳からの命令が伝わるようにする手術です。
腕神経そう麻痺の治療では一般的な機能回復手法です。
最近は「DFMT法」という、より効果の高い治療もあります。
気になって方はググってもらうと、より専門的な情報が得られます。
私の場合は『肘の関節の曲げ伸ばし、左右への捻り』の
4方向への動きを再生する手術をしています。
話を「肋間神経」に絞りましょう。
これは文字どうり、肋骨と肋骨の間にある神経で左右6本ずつあり、
呼吸をする際に胸筋と肋骨を上下させ肺に空気を出し入れする機能を持っています。
ちなみに一番下の神経は、骨の間ではなく肋骨の下に沿うように存在します。
肋骨の下でも肋間とは、これ如何に。
移行手術の後、1年くらい経過すると、
肋間神経と腕の神経が繋がり始め、呼吸に合わせて腕が勝手に動くようになります。
息を吸うと肘が曲がり、吐くと伸びます。
もっとも、腕の筋肉は1年間も動かさなかったので、すっかり落ちており、
筋力不足で完全に曲げる事は出来ず、僅かに動くだけです。
それでもクシャミを連発すると、肘も連動してピクピク動きます。
ちょっとオモシロイデス。
しかーし、
呼吸と連動したままでは使い物にならないので、リハビリが必要です。
頭の中で腕を動かすイメージを考えながら、意識して呼吸をします。
ひたすら意識しながら繰り返します。
息をする「すーはー、すーはー」
肘関節も「まがーる、のびーる」
数ヶ月リハビリを続けると腕の筋力もUPしているので、かなり曲がるようになります。
この頃になると、肘の曲げ伸ばしが呼吸と連動せずに動かせるように変化します。
常に意識して肘の曲げ伸ばしを続けることで、
脳内での腕のコントロール回線が、
『脳→脊髄→腕の筋肉』から、
『脳→脊髄→バイパスした肋間神経→腕の筋肉』へと切り替わります。
伝達経路の切り替えがおきる事で、肘の動きを『自分でコントロール』出来るようになります!
いやー人体の神秘は凄いです。
さすが人体改造の成果ですね(笑)
もう一つ、肋間神経の移行手術をすると面白い事がおきます。
肋間神経は胸の皮膚感覚を脳に伝達する役目も持っているため、
脳内の伝達経路の切り替えられると、「皮膚感覚」も変化します。
肋間神経を切り離した部分の胸の皮膚は当然、無感覚になります。
それに対して、右肘に繋いだ肋間神経は腕の皮膚にも結合しようとします。
そのため、こんなこと↓がおきます。
『右腕をくすぐると、胸をくすぐられた感じがする』
それも神経バイパスした部分だけではなく、右腕全体で数箇所が感覚逆転しています。
とくに手首の内側を擦ると、わきの下がくすぐったい。
どんな神経の繋がり方をしたらこうなるのでしょう?
この中途半端な脳内伝達にも人体の不思議を感じます。
満員電車に乗ると隣の乗客と腕が擦れるたびに、当たり所が悪いとくすぐったくなります。
鳥の羽で脇腹をくすぐられながら通勤しているようなものなので、
ある意味で拷問です。
それと、手術後10年以上過ぎた、この夏になって意外な事実が判明しました。
皮膚感覚が逆転した部分は、日焼けすると焼け色が違ってムラになりました。
チタンマフラーみたいに綺麗に焼ければ良いのに、、、
悪口言って、ゴメンナサイ [腕神経そう麻痺]
「聖おにいさん」は面白いです。
コミックも絶賛発売中。ぜひお買い求めのうえ抱腹絶倒して下さい。
今回は『神様』の話です。
もちろん↑の御二人ではありません。
私は無神論者ではありませんが、特定の宗教を信仰している訳でもありません。
あくまでも『人の生き様を見守っている存在が神である』と思っています。
特定の宗教・神様ではなく、概念としての神についての話になりますので、
不快に感じた方がいらっしゃいましたら、ご容赦願います。
私は事故にあって当時は、工業デザイナー志望の大学生でした。
そのため事故当初で両腕が使えないうえに、
利き腕の右腕を潰してしまい、目指していた目標が叶わなくなくなって絶望しました。
自分の行いを顧みず、
神様に「何故ひと思いに死なせてくれなかったのか?」と八つ当たり、
いや、心の底から恨みました。
逆恨みもいいとこですね。
それなのに神様は後になって、『不自由だけど最高の右腕をくれました』
神様とはケンカしたままだったのに、
再び頑張るチャンスをくれました。
今では神様に感謝しています。
一時は呪っていた相手なのに、今一度希望をくれた事を心から感謝しています。
私の好きな一文にコレがあります。
『神は我を見捨てず、再び剣を取りて「戦え」とのたもうた』
これからも仕事も遊びも失敗もする事は多いでしょう。
でも私は他の同じ怪我を負った人たちよりも、恵まれた頑張れる右腕を貰いました。
生きている限りは、常に生き残った意味を探し続けることでしょう。
あえて神様が与えてくれた、今の右腕に恥じないように、
精一杯、生きてゆきたいと思います。
いつか神様に「オレは頑張れたかな?」と聞いてみたいです。
一年経過 [腕神経そう麻痺]
あっという間に、事故から一年が経過。
手術で神経移行をした右肘や、
断裂して筋肉や神経で動かなかった他の間接も、再結合し始めており、
術後の回復状況を調べるため、精密検査をしました。
手術前と同じく、MRI、CTスキャン、筋電図、etc。
追加で肺機能を調べるアイソトープ検査もあり、
検査項目が多いので、全部終わるのに数日かかったかな?
でー検査結果がどうなったかというと、、、
前代未聞の脅威の機能回復!
結果をみた関係者全員が驚く事態になりました。
では手術の前と後の検査結果を比較します。
<手術前>
動かせる関節_右中指、人差し指、小指、手首の上・下(これ以外は麻痺し動作不能)
肩から先の皮膚感覚(痛覚・触覚など)を全べて喪失。
<手術後・1年目>
動かせる関節_右中指、人差し指、小指、手首の上・下。
新たに動き出した関節_右親指、人差し指、手首の右へのひねり、肘の曲げ伸ばし、肩の付け根。
回復した皮膚感覚_右中指、人差し指、小指、手のひら、肩から肘にかけての一部。
(親指、人差し指、手の甲、上腕、肩は感覚無し)
新たな障害_右肺・上部1/3が機能不全、左足首に軽い麻痺(神経移行が原因)
事故当初は『神経引抜きだったら右腕全廃の可能性が大きい』と言われていただけに、
正直、このような結果が出るとは予想もしていませんでした。
当然ながら、こんな回復症例も前例は皆無です。
検査中も「あれ?おかしいなー?」と検査の担当者が不思議がっていたので、
てっきり「良い結果が出てないのか、、、」と凹んでいたので、
先生も驚く、私も驚く、何ともいえない空気が流れました。
驚きの回復とはいえ、右手は丸一年も動かなかったので筋肉が激減・畏縮してしまい、
『脳→脊髄→神経→筋肉』と身体を動かす指令が伝わるけど、筋力不足で動きません。
もちろん、右腕が完全回復する事は決してありませんし、
リハビリをしても動かないままの場所や、力の入らない部分も沢山残っています。
(追記、2013年現在でも、右腕は正常時の50%までの回復が精一杯でした)
ここから数年かけて筋力強化のためのリハビリと数度の再手術を繰り返して、
再びバイクに乗れるまにで回復する事になります。
『奇跡は起きます!起こしてみせます!!』
某アニメの主人公も言っていましたね。
こいつ・・・動くぞ! [腕神経そう麻痺]
退院したのが真夏の9月なので、話は一気に7ヶ月先の春へ飛びます。
この頃には手術の傷も安定しており、
右腕&上半身のガッチリ固定から、アームサスペンダーにレベルUPしました。
骨折の時などに使うやつね。
やっと人並みの怪我人になりました(笑)
退院したばかりの頃は、
傷が開くたびに『血しぶきスプラッタ』で、周囲の人が阿鼻叫喚したり、
ゆるゆるTシャツしか着れなかったり、
身体のバランスがとれなくて歩くとフラフラしたり、
ミイラ男状態の時は、想像以上に大変でした。
固定が解かれても右腕はプラプラですが、
動き回るのが劇的に楽になりました。
動けるってスバラシイ。
話がそれたので本線に戻します。
手術後7ヶ月目にして『神経が繋がり始めた』気配が出てきました!
実際は力も入らないし、自分の意思で曲げる事も無理だけど、
入浴中に、肘がピクピク反応し始めているのに気が付きました。
喜びで、もー狂喜乱舞。まっ裸ですが。
入浴中に湯船に浸かっていると、右腕は湯中に沈んだままですが、
浮力で軽くなっているために、ほんの僅かだけど呼吸に合わせて動こうとします。
肺の肋間神経が、移行手術をした肘の神経と繋がり始めた証拠です。
術後に先生から『手術は成功だけど、ちゃんと神経が繋がる確立は五分五分』と聞いていたので、
本当に嬉しかったです。
お風呂に浸かったまま泣きました。
その後、しばらくは要安静に戻ります。
神経の繋がり始めは『糸1本で僅かに繋がっている状態』なので、
無理して切らないように注意せねばなりません。
切れたら再手術決定なので、、、
手術後の安静期間は不安と恐怖で押し潰されそうでしたが、
動き始めてからの安静中は、『これからどうなるのだろう?』と、
一転してワクワクで落ち着かない程でした。
ちなみに神経が切れる時は『ブチッ』と音が聞こえるそうです。
何が特殊なの? [腕神経そう麻痺]
このブログを読んだ知人から、
『どこら辺が特殊な症例なの?』と突っ込みが入りました。
面倒だから余計な事を言うんじゃな、、、いえ、何でもありません。
分かり易い例をあげて説明しましょう。
過去に前例が無かった、希少価値の高いレアな症例なので、
(この時点で十分、特殊だと思うのですが)
何か治療をするたびに、研修医の方々が団体で見学に来ます。
担当の先生も、治療の説明が『指導者口調になる』ので、
教育素材みたいな扱いをされます。
特に凄かったのは『抜糸』の時です。
足は普通に糸ぬいでしたが、
上半身は縫合時間の短縮のため『医療用ホッチキス』で100針+αは接合されました。
医療用ホッチキスの大量抜糸など、めったに経験する機会が無い治療なので、
まずは先生がお手本→残りは研修医が実習と、みごとに実験台にされました。
100数十本は針が刺さっているので交代しながら、
かなりの大人数が針抜糸を体験しました。
一番最後には「ロシアからの留学生」が出てきた時には、
私は医学の進歩のための人柱なのねと理解しました、、、
ちなみに肩から先は腕の痛覚がないので、下手な抜き方でも平気ですが、
肩から胸にかけては痛覚があるので、無理に抜かれると涙が出るくらい痛いです。
戦場ヶ原さんに口の中にホッチキスを打ち込まれるよりはマシですが、
痛いものは痛いです。
(このネタの分からない方は、西尾維新さんの化物語をご覧下さい。オモシロイヨー)
でも意地と気合で耐えました。
最後にロシアさんが最後の1本を抜き終えた時には、
無理に笑顔を作って、「ダスヴィダーニヤ」と拙いロシア語と手を振って送り出したのは、
意地と見栄のなせる業です。
さすがにホッチキス抜糸の後は、気が抜けて意識が飛びましたが。
大学病院なので入院中は、ときどき教授回診があります。
通常は「教授+スタッフ7~8名」で各部屋を回るのですが、
あきらかに私の大部屋に来ると見学者が急増します。
特に抜糸などの珍しい治療があった週など、
回診の最中に「特別講義」が始まる時もあるので、
周囲からの注目の眼なざしが痛かったです。
精神疲労のほうがツライ。
そんな感じで、完全に特殊症例として教育材料にされました。
そもそも何故ここまで特別対応されるのかといえば、
普通の「引抜きによる腕神経そう麻痺」だと、
腕機能が全廃しているので手術自体ほとんどありません。
あっても、せいぜい肩の脱臼防止のためにワイヤーを埋め込む程度です。
それに比べると私の場合は、神経の奇形であったため、
『神経引抜き+上位型・下位型麻痺の同時発症』という前例の無い症状となり、
後に学会で報告するためにも、治療記録や回復経過を詳細に得たかったのでしょう。
気が付いた時には、新人教育から医学レベルの向上の材料になっていたし。
退院後も定期検査でMRIやCTスキャン、筋電図など検査で調べるたびに、
『いつもよりサービスで多めにやっといたから!』などと、
にこやかに言われて、複雑な気分になります、、、
某○○さん、『前例がない症状だから特殊症例』という説明でOK?
さすがに分かったよね?
話が先に進まないから、ツッコミを入れるのは勘弁して下さい
腕神経そう麻痺とはなんぞや? [腕神経そう麻痺]
ここで原点に戻って『腕神経そう麻痺』について書いておこうかな。
正式名称は『外傷性腕神経叢引き抜き損傷』です。
腕の神経は根元に神経の束があり、それが脊髄に繋がっています。
そして腕の各所の関節を動かす為に、どんどん神経が枝分かれし細分化されていき、
末端の指先まで伸びています。
この神経の束の根元が脊髄の中から引き抜かれて千切れ、
腕全体が動かない症状を『腕神経そう麻痺』と言います。
全型麻痺や引き抜き損傷とも言います。
似て非なるものに、肩・肘が動かない上位型麻痺と、手首から先が動かない下位型麻痺があります。
上位型・下位型は、神経はちゃんと脊髄に繋がっているが、途中で神経断裂することが原因なので、
断裂部分を接合する治療で回復が望めます。
しかし脊髄の中から引き抜かれてしまうと、神経を脊髄に繋ぎ直すことは、
現在の医学では治療不可能です。
それゆえ昔は『役に立たない腕なら捨ててしまえ』と腕の切断をしていた例も現実にありました。
確かに自分では動かせない腕が常時プラプラしているのは鬱陶しいですからね。
では神経の引き抜きが起きろ理由は何?
バイク事故で発生が多いのはどうして?
一番の理由は、バイク事故ではライダーが地面やガードレールに投げ出されることが多いからです。
飛んで、回って、ローリング着地。
人間の身体は瞬間的に引っ張る、押される等の外力が加わると伸びます。
首ですら車で正面衝突すると、前方に40cmも伸びる事が知られています。
某漫画のゴム人間みたいな感じを想像して下さい。
F-1などのレースで↑こんなのを見たことはありませんか?
これは頚椎損傷を防ぐプロテクターで、衝撃を吸収するのはもちろん、
首が引き伸ばされて重大損傷が起きるのをを防いでいます。
バイク事故でも同様に瞬間的に間接が伸びます。
肩、腕が打ち付けられた際に、それぞれ逆方向に無理に曲げられた時や、
路面上を激しく転がったりしたり強打した時などは、
神経の長さ以上に腕が伸びることもあり、その時に神経が耐え切れず断裂します。
この時、腕の神経の根元が脊髄から完全に引き抜けたのが『腕神経そう麻痺』で、
途中で断裂した場合が『上位型および下位型麻痺』と分類されます。
大抵は神経が引抜ける前に骨折して、神経にかかる負荷が減るので、
引き抜き麻痺になるケースは少ないです。
ちなみに私の場合は『特殊な症例』のため、
通常は機能全喪失のはずなのに、一部の間接は僅かだけど動かせたり、
肺の神経を腕の神経にバイパスする移行手術をしたので、
正確には『外傷性腕神経叢麻痺』ではありません。
まー正式名称がないので、症状を説明する時は、
『引抜き損傷+人体改造』と読んでいます。
たしかに改造人間には違いないですが、他に良い呼び名は無いのでしょうか?
楽しい入院生活? その2 [腕神経そう麻痺]
引き続き、病院のオモシロ話をお楽しみ下さい。
入院中は暇です。
とぉーーーーーっても暇です。
手術が終わった後の回復室にいる間は、
安静にする以外は何も出来ないので、暇が最大の敵です。
腕、肩、首が包帯固定されているのでテレビも見れません。
寝たままなので何も出来ません、、、ツラカッタデス。
大部屋に戻ってからは少し動けるようになったし、
同室の方々とバカ話をしたり、美味しい御飯が食べられたり、シアワセ指数UPでした。
基本的に整形外科に入院する人は、
外傷患者なので精神的には元気です。
そのため治療の安静期間が終わると、いろいろと悪さを始めます。
悪事といってもイタズラと悪ふざけですね。
実際に見た事と看護婦さんに聞いた事をまとめると、こんな事がありました。
・足を折って車椅子の方々が『車椅子で最速レース・ゴールは喫煙所』をやったら、
途中で転倒し傷口を強打、ストレチャーで緊急搬送。
のちに参加者全員が婦長さんに説教される。
・夜中にお腹が空いたと『急患入り口へピザの宅配を注文』するが受付で止められる。
のちに同室全員が連帯責任で婦長さんに説教される。
・折れでずれた骨を本来の位置に戻すため重しで引っ張る治療をしている人には、
気付かないうちに『重しの上にヌイグルミ』が乗せられる。(本人は動けないので取れません)
のちに実行犯が婦長さんに説教される。
暴走する不良患者は、たいてい婦長さんに怒られます。
何事も限度を超えると痛い目にあう。
良い教訓です。
入院中は大人しく療養に専念しましょう。
包帯だらけの痛々しい姿で病院そばの本屋に行くと、
お客さんが凄く驚くので気をつけましょう。
そのうえバイク雑誌を買って読んでいたりすると、
それを見た全員から『アンタには事故の教訓という言葉は無いのか!』と突っ込まれます。
まぁ色々な意味でバカなのは自覚していますから。
のちのち『バカ度が急上昇』することになるのですが、
それは遥か先のお話です。
脱線した話も、そろそろ本線に戻しましょうかね。
楽しい入院生活? その1 [腕神経そう麻痺]
硬い話が続いたので、少し面白い話もしましょうか。
手術後1週間は回復室に入れられ、経過観察です。
傷が開くとシャレにならない緊急事態になるのと、
肺の神経をいじったので、呼吸障害が出る恐れがあるためですが、
常時、緊急対応が出来るように体調のチェックをします。
患者が暇だからと、動きまわらないように監視するのが理由の気がしますが、、、
それと左足にも手術跡がありました。
肋間神経の肘への移行の際に、神経の長さが足りないので足の神経を切り出して、
『延長ケーブルに使ったから』だそうです。
とても分かり易い説明ですが、私は家電機器ではありません、、、
傷も安定してきたのを見計らって大部屋に移動。
手術前にいた大部屋に戻りましたが、部屋に入ったらリアルに驚かれました。
入院時に同室の患者さんに挨拶した時に、
『これから手術なんですよー』と気軽に話していたのに、
出て行ったきり帰ってこないので、手術失敗か?まさか手遅れだったのでは?とウワサしていたそうです。
内科だと永遠に帰ってこないこともあるので、ちょっと苦笑い。
抜糸が終わって退院するまでの1ヶ月をここで過ごしました。
大部屋に戻ったときは8月の真夏の日でした。
傷口が開か無いように右腕と上半身が包帯でグルグル巻きで腕・首も一緒に固定。
このカッコは非常に暑いです。
そのためTシャツは着れないし、傷か化膿しない様に通気するため、
素肌の上に、唯一の前開きシャツのアロハシャツを羽織り、短パン姿と、薄着で戻ってきたので、
一同大爆笑。
『重症患者がその格好はないだろう』
さんざんツッコミを入れられました。
大部屋の方が気楽で楽しかったです。
ついでに入院食の話もしましょう。
1995年当時、慶応病院の入院食は『病院業界では屈指の美味しいさ』を誇っていました。
たしか、パンは帝国ホテルで出されている物と同じだったはず。
最初に入院した病院とは味気ない食事とは大違い。
ご飯が美味しいのはシアワセだねー。
治療も山場を超えたので、だいぶ元気も戻ってきました。