バイクに乗り続けるということ [障がい者]
何故、ろくに右腕が動かないのにもかかわらず、バイクに乗るのか?
理由は簡単、風を切って走るのが楽しいからです。
皆さんは、何故、自分がバイクの乗るのか考えたことがありますか?
周りにいた友人達がバイクを降りていくなかで、
何故、自分だけがバイクに乗り続けているのかと、考えたことはありませんか?
事故の以前の私は400ccのレーサーレプリカに乗っていまたが、
帰省に使う以外は、たいしてツーリングに行くでもなし、峠で膝を擦るでもなし、
通学の足に使う、文字どうりのちょい乗り専門でした。
それがどうして身体が不自由になってから、
休日だけでなく、時間を見つけては走りに行くようになったのか。
以前のGOGGLE誌のコラムに、こんな一節がありました。
『いい歳してバイクで死ぬのは、事故死ではない。死を賭けて乗っているのなら、それは”自殺"である』
そして、もう一文、
『やけでバイクに乗って死に囚われるのは、自殺ではなくバイクに殺されたのである』とも。
バイクは全身で走る楽しさを味わえる道具です。
でも、常に安全な道具ではありません。
『走る楽しさ』の直ぐ裏側には『死の影』が同時に存在します。
私自身、いつも自分のすぐ傍らに死を意識しながら生きています。
大袈裟に聞こえるかもしれないし、年寄りじみているとも言われるが、
現実にいつも感じることです。
事故に遭って意識不明の間、私は『死の影』を感じました。
恐怖とも安らぎとも違う奇妙な感覚でした。
果たして、これが『死というもの』なのか分かりませんが、
そのまま目を覚まさなければ死んでいたそうです。
我々は『死ぬという現実』を恐怖や不安とともに特別な存在であるかのように考えがちです。
だが、現実には死はいつも我々のすぐ側に在るのです。
そして、常に傍らの死を意識するからこそ、
生きていることも実感できるのです。
話は戻りますがが、
私がバイクに乗り続ける理由は「バイクで走るのが楽しいから」です。
事故の以前からバイク好きの気持ちは変わっていませんが、
たとえ時間があっても「今、走らなくても後で幾らでも走れる」と思って走らなかった事が多かった。
毎日、ただ漫然と過していたためだと思います。
だが、今は毎日を生きていることを感じながら過ごしています。
死を身近に感じるゆえに、生もまた、身近に感じるからです。
それゆえに、いつ、死んでも後悔が無いように毎日を一生懸命生きたいと考えています。
だから自分の好きなこと、楽しいことを出来るうちに精一杯やっておきたいのです。
ちょっと偉そうなことを書いてしまいましたが、
現実には、人間ちょとやそっとで死にやしないし、毎日死ぬことばかり考えている方が健康に悪い。
しかし、私の場合はもう一度、同じような事故に遭遇したら、
今度こそ良くて手足の一本の無くすか、悪ければ半身不随になるのが決まっているので、
少しばかり気にし過ぎなのかもしれません。
人生、一回限り。
リセットもやり直しも効かないのだから、もっともっと今という時を楽しくありたいものです。
お役所仕事の対応 [障がい者]
以前に「二輪免許保持者が障がい者だったの免許更新時に免許の返納を求められた」という話題があり、
そこに私的コメントを書いたものを転記(一部加筆)しました。
警察にとっては『障害持ちのバイク乗りは事故を起こすリスクが大』という
先入観が前提にあるからでしょうね。
『どうせ無理して乗っても自爆事故起こすのだから、バイクに乗るのは止めなさい』とか、
『貴方のために親切に説明してるのだから言うことを聞こうよ』とか、
『そもそも片手だけでバイクに乗れる訳無いだろ』とか、
免許センターのの担当者にもよりますが、
大抵の障がい者の免許取得・更新では、上記のような事を言われ、
免許の返納を求められたり、大概は融通が利きません。
『不作為の作為』で意図的に面倒な事案を避けているように感じます。
私は18年前に、事故で右腕の「神経引き抜き」のために片腕麻痺になったのですが、
免許更新の時に、同じような話をされました。
当時は1回目の手術をした直後で治療継続中だったので、
まだ治療中ならという事で免許の欠格条項に関しては保留となり、
更新は問題無かったのですが、
『完治後に再度、適性検査をやります』
『不合格なら二輪免許は返納。どうしてもバイクに乗るなら、
乗車車両の改造後に、車両を持ち込んでもらい再検査する』と説明されました。
まあ、改造しないと乗れないなら適性の再検査や実際の運転能力の確認は、
安全な運転の為には仕方ない事だと思いますが、
「じゃあ、どんな改造すれば良いの?」と聞いても、
『個別の事案はプライバシーの問題で教えられません』
『必要なことは自分で対応して』と言われるだけで、
どないせいっちゅうねん┐( ̄ヘ ̄)┌ ヤレヤレ・・・と、途方に暮れたのを覚えています。
結果として、限定解除に挑戦して、
力技で二輪の適正検査と実技試験に合格し、運転許可を出させたので一安心でしたが、
不合格だった時には、その後の人生が様変わりしていたと思うと冷や汗がでます。
今でこそ、障がい者が免許を取る方法や、
個人ごとの障害にあわせた車両の改造のノウハウがネットで調べられますが、
当時は情報不足で、何をするのも手探りでした。
昨今ではバリヤフリーが進おり、役所の福祉相談も良い対応してくれたり、
自動車では『足一本でも運転できる特殊車両』が市販されていたりと、
世の中が障がい者の社会進出に前向きに変化しています。
どうして二輪車の運転免許に関しては、『身体に障害のある方の受験案内』の相談窓口が、
運転免許試験場ごとに存在しているのにも関わらず、
マニュアル的な対応のうえに前例主義で柔軟性もなく、統一基準も無く説明も不十分のまま。
今でも役に立たずの存在なのが不思議でしかたありません。
試験場や担当官によっては、障がい者の運転に対して、
もの凄く親身に対応して頂ける場合もあるのに、
別の場所では、前提として『基本的に対応はムリ』という姿勢をとっている事もあります。
この対応の違いは何なんでしょうか?
もう少し今の状況に即した、適切で有効なサポートをして頂きたいものです。